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連日大入りの大好評に終わった、【番外 池田屋・裏】。
入場者数も1000人を超え、皆とても喜んでいます。
幕末の動乱に生きた人々の熱い心に共感を得、
今頃になって“新撰組”の時代背景を勉強しなおしている私です。
激動の18年間の幕末・・・ホントに一生懸命に生きていたんだな〜
と改めて考えさせられました。

お忙しい中、ご来場頂いた方、ご協力頂いた方々、
皆様に感謝感謝です。またこれからもよろしくお願いします。

平成15年12月吉日





2003年12月4日(木)〜7日(日)SPACE107 於いて

『池田屋・裏』

あらすじ 時は元治元年6月5日。肥後藩の宮部鼎蔵(みやべていぞう)、長州の吉田稔麿(よしだとしまろ)たちが中心になり、尊王攘夷の志士たちと京に火をかけ、町を混乱に陥れようと池田屋で画策していた。その情報を聞きつけ、新撰組が池田屋に乗り込んだ。急な宿改めに池田屋に集結した志士たちは池田屋の裏(姫太鼓)の家へと逃げ込んだ…!


オープニングはこんな感じで始まった!
明治大正時代まで生きた新撰組隊士/永倉新八翁。今は名を変え杉村義衛と名乗っている。
彼が後に語った新撰組の真実の姿が徐々に浮き彫りにされてゆく…

攘派浪士たちが強風の夜を狙って京都市中に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮・
松平容保を殺害、天皇を長州へ奪取するという陰謀を企てていることを古高俊太郎の
自供から知った新撰組。新撰組は陰謀を阻止すべく、近藤率いる5名が浪士たちが
集結している三条小橋側の池田屋を割り出し斬り込み・捕縛した。肥後の宮部鼎蔵
長州の吉田稔麿・土佐の北添佶麿などの大物尊攘派浪士がこの事件で殺害された。

時は夜10時…池田屋…しかしすでに新撰組に周囲を囲まれていた。
戸を叩く音が…ドンドンドン、ドンドンドンドン、御用改めである!

そして太鼓のリズムに合わせてグワィ役者名が呼び上げられる!!


池田屋で会合があると睨み乗り込んだ近藤・沖田・永倉・藤堂。
しかし沖田は吐血し永倉は左親指を負傷、藤堂も額を割られた。
池田屋の裏の家では、年に一度の大行事の姫太鼓に命かけて
稽古に励む女性の太鼓打ち達が住んでいた。
しかし姫と呼ばれる15人の太鼓打ちは皆江戸で足止めをくって
しまい、しかたなしに新人教育に勤めることとなる。
唯一残っている姫は病弱…慰めてくれるのは桂小五郎先生。
そんな大変な状況下のこの太鼓道場に、突如傾れ込んで来た
宮部鼎蔵たちと新撰組の面々。場所は変わっても尊王攘夷の
思いや日々暮ら町の人々の気持ちを朗々と語る宮部であった。
一方、祭りが近いにも関わらず姫太鼓15名が集らず頭を抱えて
いた…ところがふと気づくと洗濯物屋の手つきが太鼓打ちと似て
いる事に気づいた…やった!これでいける、天の助けだ。
実は江戸に足止めをくっていた姫太鼓の面々は牢に入れられ
ていた。武士と平民の差は余りにも開きがある。泣きを見るの
は平民、しかしそんな時代に嫌気がさした武士たちもいた。
武士らしく腹に刺さった刀を抜き、戦う準備をいたします。 土佐の亀弥太は皆が見守る中、刀を抜ききった!
(小道具さんが素敵…本当に腹から刀を引き抜くイリュージョン!)
今の幕府では日本を救えない、もっと外を見なければいけない…
なにもかもわかっている。しかし我ら新撰組は幕府に使える身、
ここは貴方達志士を捕らえねばなりません。覚悟はよろしいか?
永倉新八(右)と現在の永倉新八=杉村義衛(左)が
時代を越え己に問いかける…
これぞ姫太鼓、乱れ打ちじゃ〜!(夏からずっと練習してきました。女性全員、手に豆を作り腱鞘炎になり、金子師匠ありがとう☆)
ラストは池田屋にて宮部鼎蔵・吉田稔麿が新撰組に斬られ、志士としての思いを述べながら息を引き取る。
姫たちは彼らの死にそれぞれの思いを込め、太鼓を打ち鳴らす…
↑左手前より特別客人☆由貴さん・須間一彌さん(東京サギまがい)・咲野俊介さん(青年座)です。

皆様、お疲れ様でした…あぃ〜ん!



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