2007年10月27日〜28日  第16回萩・世田谷幕末維新祭り

初日は台風が接近し、リハーサルも出来ず、殆どの催し物が中止となりましたヾ(- -;)
なので…お好み焼き&たこ焼き&焼きそば&芋団子&にごり酒 等、食べて飲んで宴会のように過ごしました。



そして2日目!台風一過のカラッと晴れた、気持ちのよい祭り日和となりました♪




☆幕末野外劇 at松陰神社境内松下村塾にて☆

ナレーション/坂口順子、音響/秦修

長州藩主、毛利敬親公はデブっちょだった。そして、高杉晋作は爆走型だった。
1862年文久2年の12月12日深夜、品川の妓楼「土蔵相模」を舞台に
長州藩の若者が一大決心をした…御殿山英国公使館焼き打ち…
それは幕府に対する彼らなりの抵抗だった。
みぞれ混じりの風雨が地をたたき黒雲流れる中、
御殿山の洋館はたちまち燃え崩れた。
師走の夜空に吹き上げる巨大な火柱は
これから起こる皆の運命を暗示するかのように赤々と燃えた。



タイトル;「幕末太陽奇譚〜英国公使館焼き討ち〜」 作&演出/わたべみほ
出 演 者 の 皆 さ ん

十二代藩主;毛利敬親 高杉晋作;小坂逸 久坂玄瑞;濱田嘉幸 志道聞多;山崎祐
吉田松陰;わたなべれいじ 小雪;渡部美穂 来島又兵衛;田中新一 伊藤俊輔;金本英信、
福原乙之進;すわいつ郎


敬親公は俺に従えと前に出て行くタイプではなく、才能ある者を尊重し、その能力を発揮させていくという殿様でした。
長州藩内部において尊攘派と保守派がコロコロ交代しながら命をつないで来られたのも、才能ある者を尊重し、
その能力を発揮させていく敬親公がいたからこそでした。だからこそ、逸材が出る雄藩となったのです。
松陰先生は年幼くして殿の御前で講義を行い、藩主毛利敬親公が誰よりも気にかけた長州の誉れ高い教育者です。
しかし、国を憂いるあまりに出た過激な行動の為、「安政の大獄」の発令の元に江戸送りとなった。そして…1858年、処刑された。
我等が松陰先生の意志を受け継ぐ! 1862年お江戸日本橋から東海道を渡り、その第一の宿品川に土蔵相模という妓楼があった。
遊興に見掛け密かに集まっていた。 おい、焼き討ちやろう。御殿山に建築中の異人館を焼くんじゃ…そう言ったのは高杉であった。
まずは金の算段を…っと。聞多の知恵が炸裂!小雪の身請け話を一席設けてまんま武勇の来島又兵衛より50両の金をせしめた。
「高杉、おれは絶対反対だ!焼き討ちなど市井無頼の輩の真似事ではないか!」真面目な久坂は猛反対をする…が、、、
「大変やー!高杉様、大変な事になりんした。
福原様が三田の辻番所に放尿して
番兵に捕まったそうでありんす!」

「福原、焼き玉はどうした。切腹じゃ、すぐに腹を切れ!…何?焼き玉を食べた?」
「それでこそ長州人じゃ!軍師は豹変す。わしらの暴れぶりをみちょれ。」
「よ〜し、これよりエゲレス公使館を焼き討ちする。幕府が攘夷をせざるを得ないように持ち込んじゃ!」
1862年12月12日深夜、みぞれ混じりの風雨が地をたたく中、御殿山の洋館はたちまち燃え崩れた。
師走の夜空に吹き上げる巨大な火柱はこれから起こる皆の運命を暗示するかのように赤々と燃えた。
「よー燃えちょるのー。ワシらの手で新しい歴史の幕上げしちゃる!」
日本の夜明けをめざし呼応した若者達は、これから6年後の夜明けに向け、各々の信ずる方向へと生死を分ける道を突っ走った!
「私の愛するこの日本国が自由で平等な夢のもてる国へと変貌してくれることを願うのみです。」by松陰
役者陣一同です♪
協力:グワィニャオン、メザマシ団、劇団6.89、MK−Box、TAKE1、幕末維新祭り実行委員会
今回の野外劇の楽曲提供の秦修さんです☆
一緒に写真に入れなかった方々、すみませんm(_ _;)m
センターはオープニングセレモニーで司会を担当された井上真美さん、左手前は会場アナウンスの平塚純子さんです。


あはっ!




2007年9月30日  第17回しながわ宿場まつり


今年はついていないのか、それとも強力雨男が2名参加している為か・・・一日小雨の中、決行いたしました。

タイトル;「魁!新撰組見参」 by MK−Box&スプーキーズ

出 演;近藤勇/増田大樹、土方歳三/わたなべれいじ、沖田総司/森川渚水、岡田以蔵/田仲孝史、中村半次郎/若林宏治
ナレーション/佐藤誠、音響/小坂逸

新撰組 対 人斬り以蔵&人斬り半次郎! 殺陣と旗舞が雨天の路上に軽やかに舞う♪
このしながわの地は我等が守る!何人たりともこの地を汚さぬよう、祭りの似合う楽しい町でありますように☆


雨の中、頑張った茶屋娘です☆左から菅野直美さん・井上真美さん・平塚純子さん・小岩井美緒さん・山本ひとみさん



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